『宇宙の広さからすれば、こんなにちっぽけな地球だけど、平面にした地球上の多くの場所に存在してきた僕からすれば、相手にする前の世界はやはり広く、一点一点の主要都市間の距離は遠く感じられるものだった。どうして僕はこんなに多くの街に自分が存在できたのか?今思っても正直言って不思議だ。世界中には数十億人の人間が存在するのに、あの街で肩を触れた人も、この街で偶然にも言葉を交わした人も、ただ目の前を通り過ぎて行った人にしても、その大多数の人は、殆どがそれぞれの場所で、自分の手の届く範囲でありきたりに暮らすことに満足してその一生を終えている。なのに僕は、目の前を通り過ぎていった人達の何倍もの世界を、この目の奥に焼き付けることができた。

 結局は自分の人生で冒険を冒せるかどうかは、自分にその意思があるかどうかの単純な選択肢であり、さらにその後の人生を前向きに考えられるかどうかの問題だろうけど、実際僕は冒険を選んでそれを実行して、いろんなところで暮らし、働き、地球上の多くの場所を通過してきたわけだ。ただ今考えても、ゴールのテープを切れたことは奇跡に近い事だと思う。何度も神に助けられ、何度も人に救われた。愚かな人間には神も万国の民も手を貸さないであろうから、そういった意味では僕はまだ救われる存在だったのかもしれない。勿論、僕がそんな冒険が出来る国に生まれた偶然にも感謝しているが・・・。』



 『日本での日常を捨て去って海外に出ても、そこにはこれまでとは全く違った新しい日常が待ってるのはあたりまえのことで、せわしなく移動ばかりを続ける旅と違って、まず自分がどうして生きていくかを考えなければならない現実がある。他人は僕たちがしてることを見ると、自由で気ままで羨ましい。なんて言うが、やってる当人はとりあえず生きてく術が見つかるまで毎日が不安の連続だし、違法な滞在でもしていたら自分を現地人に見せる相当な努力もしなければならない。それでもそんな中にひとつだけ楽に思えることはある。それは開放されていく自分を感じ取れることだ。

 ドラッグに走る連中がハイになって求めることは心の開放らしいが、海外に一人で出て行って味わう開放感て、もしかしたらそれに近いものかもしれない。うるさく言う親もいなければ管理された時間に束縛される生活もない。好きなだけ寝れて、好きなとこに出かけられる。自分勝手な自由が得られる。そして何よりも歪み腐ったような社会の観念を崩すこともできる。そこにポツンとたたずむ自分をの姿を、足の先から頭のてっぺんまでじっくり見直せるようになるまでそれほど時間はかからないだろう。

 だけどここで念のために言っておくがホーム・シックにかかる連中は別だ。ホーム・シックって言葉は万国共通で、どんな国の人間だってこれにかかる奴は大勢いる。僕はホーム・シックって心が開放されていく自分に対する恐怖だと思っている。それまでいつも自分を繋ぎ止めていたものをなくす恐怖とでも言おうか、孤立して一人になった自分に気づいて逃げ場を探してるように思える。だからこういった連中を見かけると同情はしないけど、旅よりも旅行をして早く帰りなって言ったもんだ。

 一度そうして開放感を感じ取ったり、固定観念まできれいに崩し去ってしまった人間て、帰国してもそう易々と日本のような管理社会に入っていけるはずもないことは当然といえば当然のことだ。ましてやそれまで自分が経験したことといえば、世界のほんの一部分をかじっただけに過ぎないのだから、さらにその先に進める道があることが見えていれば、苦痛を選ぶより誰だって新しい冒険の旅に出ようと思うのは、これはいたって自然なことだろう。

 ただ、だれもその時には考えが及びもしない事だけど、長い航海の先に待っているものは決して楽しいことばかりではない。人は多くの現実を知りすぎれば知りすぎるほどその後の人生で苦痛を感じてしまうものだ。井の中のカワズが幸せか、大海を歩いてきたカワズが幸せかは、まだ今の僕には答を出せない問題だ。たぶんその答は、僕が人生をまっとうして眠りに就くとき、自分が満たされているかどうかでしか判断できないことだからだ・・・。』



 『とにかく、今自分のいる場所に居場所が見つからなければ、生きてくために、自分の居場所を見つけにいく必要はあると僕は思う。それが地球上のどこであろうと・・・・。』


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